黄泉比良坂(島根県松江市)

 この世とあの世の境目が島根県にあった? はねくら喜志
                写真は2015年8月頃のもの。現在は他界した人に送る手紙を入れる郵便ポストが設置されているという。
御存知、『古事記』『日本書紀』の建国神話に登場する東出雲の地。伊邪那岐(いざなぎ)の尊(みこと)がその妻、伊邪那美(いざなみ)の尊を連れ戻すために通ったと言われる黄泉の国へと通じる道です。
木々が生い茂る鬱蒼とした中を下っていく道があったので「地下へと通じている感じの洞窟跡でもあるのかな?」と思って奥へと進むと、住宅街から入る別の入り口に出ました(笑)
『古事記』『日本書紀』の建国神話において、黄泉の国にいる妻 伊邪那美(いざなみ)に、夫 伊邪那岐(いざなぎ)はまだ生きてるのに会いに行ってるんです。皆さんはこれをどう思われますか?イザナギは後追い自殺、または仮死状態になって臨時体験?あり得ない話ではないと思いますが、もっと現実的な説を簡単に御紹介いたします。
イザナギが行ったという『黄泉国』はどうやら「死後の世界ではない」という解釈です。黄泉国の場所なんですが「黄泉」とは現在の島根半島、弓ヶ浜(夜見ヶ浜)にある鳥取県夜見町を指し、海抜高度の低い場所であるため昔は島状に隔離された場所だった可能性があるのです。夜見町が黄泉国と言われている所以には、先の神話にまつわるものと、近代的なものと2つあります。
先に後者から紹介いたしますと、当時の弓ヶ浜は地形状、土地が大変痩せていて、行き場を無くした者(犯罪者等)が行き着く地であったとか、海流の関係で昔は死体が流れ着く場所だったという説です。まあ、俗説でしょうね。
もう1つは神話の描写に基づくもので、どうもこの黄泉国、伝染病や不治の病にかかった人々を治療する隔離施設だったのではないか?という説です。当時の医学ではほとんど治癒する見込みが無く、行ったら帰って来れない場所。まさにあの世への入り口、『黄泉の国』というわけです。
では『黄泉醜女』と『黄泉の軍団』の正体は?
当時のお医者さんや看護師さん、療養施設で働いてた人々のことになると思います。イザナギが妻イザナミに会いたくて、隔離施設の中に入っちゃったもんだから、施設で働いてた人たちが慌てて、「感染したらどうするんです!?検査して消毒いたします。しばらく様子を見ますから、そのままお帰りにならないでください」という感じで追いかけて来たわけですね。なりふり構わず病人の介護から遺体の後始末までやってくれていた人たちを黄泉醜女だの、黄泉の軍団だの何とも失礼な話ですf^_^;
追いかけて来た黄泉醜女たちが山葡萄の実や竹の子を食べている間にイザナギは逃げたと言いますから、施設の中でロクなものも食べさせてもらってなかったのでしょう。イザナギは立入禁止の施設に入れてもらいたくて桃や葡萄といった果物をたくさん差し入れに持参していたのかも知れませんね。看護士の方々も、頭ごなしに「イザナギ様を連れ戻して来い」と言われても「やってられるか!」といった感じで命令には従わず、むしろ差し入れの果物等を持って来てくれたイザナギを皆で逃がしてくれたのではないかとすら思えます。黄泉比良坂(よもつひらさか)で桃を投げて追手を撃退したとありますが、実際は近くまで見送ってくれた看護士さんたちに、お礼として岡山辺りから献上された桃を施設への帰り道にお弁当代わりに持たせたのではないかと想像します(笑) 

では「決して私の姿を御覧にならないで下さい」とは?
ギリシャ神話にも似たようなお話がありますね。今までは2人とも人間である事を前提に、あくまで常識を出ない範囲で解釈してきましたが、それだけでは説明がつかない部分がありますよね。
『日本書紀』では「殯(もがり‥遺体を安置しておく場所)に入った」とあるんです。でも、イザナギは御殿の入り口でイザナミと話しているんです。火を灯して御殿の中に入ったら、変わり果てたイザナミの遺体があったのに。イザナギを不憫に思った看護士の女性がイザナミのフリをしたのでしょうか?いや~、自分の奥さんがでないことくらいわかるでしょう。話した相手はイザナミの亡霊?たとえ人であったとしても神格化されるくらいですから、特殊な能力、霊感くらいあっても不思議ではないでしょう。「私は黄泉の国の食物を食べてしまったのでそちらの世界には戻れないのです」という言葉から、生死の間をさまよっている生霊、臨時体験というレベルではなく、完全にあの世の世界の住民になったということでしょう。しかし、イザナミは「帰りたいと思います。黄泉国の神と相談してきます。その間、決して私の姿を御覧にならないで下さい」と言ってから奥に入って行ったのです。言われた通りに待っていたら生き返ることができたのでしょうか?イザナミに戻りたい気持ちがあっても、やはり無理だったことをイザナギに告げることができず、途方に暮れている間に遺体を見られてしまった‥‥というのが普通の解釈かもしれません。でも、皆さんはそれで納得できますか?神話とはその程度のものなのでしょうか?次の記述から推理してみて下さい。
「女神の身体には蛆がたかり、ごろごろと鳴って、頭には大雷がおり、胸には火雷がおり、腹には黒雷がおり、陰部には析雷がおり、左手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷がおり、右足には伏雷がおり、合わせて8種の雷神が成り出ていた」
これらの描写は何を意味するのでしょう?肉体を再生している途中の描写なのでしょうか?雷というのは、帯電した雨雲が光ってそこから稲妻が伸びて地面に落雷している様子が想像できます。つまり8つの光の球体からイザナミの体に向かって放電している感じですね。でも、明かりが無いとイザナミの体が見えなかったのでしょうから、8つの雷は普通に光っていたわけではなく、霊的なエネルギー体ということでしょうか‥‥?



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