終末(滅び)の予言は何故当たらない?

見分けられなかった「宇宙人」と「宇宙人にあらざる者」とは?
 
2022年10月1日、北海道沙流郡平取町にあるUFOの聖地、ハヨピラを訪れました。
平取町は苫小牧と富良野をつなぐ山間部の街で、沙流川沿いの237号線をはさんで南北に伸びています。北上して行くと、木々に覆われた山肌から不思議なモニュメントの頂上部が見えて来ます。ハヨピラと呼ばれる、日本最古のUFO研究団体であるCBAによって建造されたもので、完成時や記念式典にはUFOと思われる光体が出現したと言われます。
市街地の北端にあるハヨピラを過ぎて橋を渡り、山間部をさらに北上して行くと、二風谷コタンというアイヌ文化の住居や民芸品、資料を保存した観光施設に出会います。
二風谷は『ゴールデンカムイ』のアニメの舞台にもなった、アイヌ民族縁の地です。
二風谷コタンには昔のアイヌ民族の住居が保存されており、中を見学できる家屋もあって催しが開かれることも。私が訪れた時は運よく、地元の女性によるアイヌ民族の言語や伝承にまつわる講演がある日だったのですヽ(゜∀゜)ノ
アイヌ民族の衣装に身を包んだ2人の女性による、地方の訛りが感じられる普段着な講話はとても心地良いものでした(^ ^)アイヌ民話の中で、山で神隠しにあった少女が(家族の祈りが通じたのか)何年かの歳月を経てから帰って来れた…という話が印象に残りました。このお伽話も「UFO事件が元になったもの」なのではないか?と考えてしまうのです。アブダクションにしては長すぎるし…かと言って、浦島太郎やかぐや姫と違って、ちゃんと元の場所に帰ってこれてますよね。この違いは何なんだろう?…とか(笑)
講話の後半では、アイヌ民謡を数曲ご披露してくれました。聴いていて、とても心地よくなり(失礼ながら)思わずウトウトとまでしてしまいました(≧▽≦;)ゞもしかしたら子守歌の効用に近いものがあるのではないかと…言い訳ながらm(_ _)m(笑)この時、アイヌの神様、オキクルミカムイの名が何度も繰り返される歌詞の曲が気になり、『アイヌと神々の謡』(萱野茂 著  ヤマケイ文庫)を取り寄せてみたのですが載ってませんでしたね…
ところで、最近ハマったアニメ『くまみこ』の主人公(ヒロイン)雨宿まちの巫女衣装はアイヌの民族衣装では!?ヽ(゜∀゜)ノ舞台設定は東北の山奥ということになっていますが。
話はハヨピラとCBAに戻ります。
ハヨピラが建設された時期のCBAは宇宙人との交信を目的としていました。この時、ジョージ・ハント・ウィリアムスンが伝えた宇宙交信機という機械を用いたそうですが「音声を光に変えて発信し、光を音声に変えて受信する」仕組だと言われています。この「光(電磁波の一種)」を「電磁波」に置き換えれば一般的な通信手段の説明になります。しかし、ラジオや無線、TVや携帯の通信に使われる電磁波の周波数は3G(ギガ=10億)Hz未満なのに対して、光…赤外線~紫外線までの周波数は3~3000T(テラ=1兆)Hzで2024年現在ですら使用されていません。レーダーや衛星通信、電波望遠鏡ですら300GHz未満、しかも巨大な無線設備が必要になります。
(詳しくは総務省の電波利用HP http://.tele.soumu.go.jp>myuse 参照)
この1958年に持ち込まれた宇宙交信機を製作したのは著名な電気技術者、橋本健氏だそうですが、技術的には可能でも当時の設備では無理があるという意味で「あり得ない」と高梨純一氏は言ったのでしょう。宇宙交信機は無線機を改良したもので、一般では使用されていないマイクロ波(3~30GHz)レベルの通信で、地球の付近を飛び回る偵察UFOとつながったと考えれば自然なのでは…と思います。
この宇宙交信機を用いたコンタクトの後、CBAの松村代表は1959年7月に2度、横浜と渋谷で宇宙人と思われる人物と遭遇。高尾山山頂でのUFO目撃遭遇の後、宇宙人の母船に招かれたそうです。そして、世界各国から集められたと言われる40数名の地球人に伝えられた内容は想像もしていなかった厳しい内容だったのです。
母船で待っていたのは宇宙人との会議でした。いきなり途方もない、以下の内容が告げられたのです。「地球の大変動が極めて近い将来に迫っている。一人でも多くの人を他の遊星に避難させたい。その準備のために世界各国から40数名の人間を集めた」「地球に配備された大量の核兵器により地球人は自滅する可能性がある。それについては宇宙人は干渉することは(立場上禁じられているから)できない。(それとも)自分たちの責任で危険な兵器を処理する意思があるのか?」正確、詳細な内容を本人が記録したものが残っていないのですが「この『大変動』と『核兵器』が関連して地球が住めなくなる」と宇宙人が予測、あるいは当時のCBAが解釈していたと思われます。実際、1953年から1963年まで海兵隊配属だった米軍兵士が「2500万トン級の水爆が岩国基地内にある」と証言していたそうです。ヽ(゜∀゜;)ノ日本は「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則じゃなかったのか!? と思うでしょう。でも、米軍が日本に核兵器を配備することは何ら違法では無いのです。(と言うか、当時のソ連軍に牽制する意味でも最も核武装をを集中させていたと考えるべきかも。)1950年6月の日米安保条約の原案では「〇日本の全土が米軍の防衛作戦の潜在的基地とみなされなければならない。〇米軍司令官は、日本全土で軍の配備を行うための無制限の自由を持つ。〇日本人の国民感情に悪影響を与えないよう、米軍の配備における重大な変更は、米軍と日本の首相との協議なしには行わないという条項を設ける。しかし、戦争の危険がある場合はその例外とする」という条文があり、現在も受け継がれているというのです。ロシアや中国、北朝鮮の存在により「現在も戦争の危険がある」という前提でf^_^; 文章の表現を変えたところで、条文の本質は何も変わっていないようです。
(『知っては いけない 隠された日本支配の構造』矢部宏冶 著  講談社現代新書 参照)
宇宙人の母船で告げられた内容については、大災害の件のみ会員に報告して、指示された核対策については松村代表と一部のCBAメンバーだけで行動することとなったようです。(「手を差し伸べない。干渉しない」と言ったはずの)宇宙人の協力を得て、1959年~1960年にかけて、空と陸からの(CBA会員は貸与された機械を持って)共同作戦が開始、宇宙人に指定された日本各地を走り回り、持ち込まれた核兵器を処理して回ったといいますヽ(゜∀゜;)ノ 本当にそんなことが‥‥?と思うのですが、それに準じるような動きをするUFOの目撃証言が核関連施設の関係者や兵士から漏れてきているのです。実際に1940年代後半からUFOは核関連施設や実験場に幾度も姿を現して米軍関係者を動揺させています。1960年代半ばになると、一時的に核施設の機能を停止、または誤作動させたり、核弾頭やその格納庫に上空から光線を当てたりして干渉するケースまで出てきたそうです。これはあくまで核関連施設で任務についていた中で、証言に応じた軍人から得られた事例だけですから(松村代表が母船のUFO会議に参加したのは1959年7月末)既に1960年頃からこのテの干渉をしかけていた可能性もあると思います。
(『日本UFO研究史』天宮清 著 (株)ナチュラルスピリット
 『UFOと核兵器』ロバート・ヘイスティングス 著 環健出版社 参照)

一方、宇宙人の母船から告げられたもう1つの内容、近い時期に地球に訪れるという『大変動』に関する内容をめぐって、組織内部でその扱い方や行動が別れてしまうのです。宇宙人の母船に呼ばれた各国の代表(日本では松村代表と一部の会員)が大災害を阻止しようと最大の要因となる核対策に取り組んでいる間に、一部の会員が終末における選民のような行動に先走ったのではないかと思われます。当時の地方連絡員だった徳永光男氏によって内容が追加、整理され、後に『トクナガ文書』と呼ばれる内容で一部の会員に送られました。それを平野威馬雄氏が新聞社に情報提供したことで産経新聞の記事となり世に知られることとなり、これが後に『リンゴ送れC事件』と呼ばれます。ジョージ・ハント・ウィリアムスンの思想から生まれた造語らしく、『C』は大災害(catastrophe)の頭文字、『リンゴ』は外の遊星から指名を受けて地球に生まれ変わって来ている人元々を指し、大災害時の避難指示を暗号化した言葉だそうです。松村代表らCBAの幹部は「嘲笑されようと揶揄されようと」多くの人々に知らせるために1度は新聞に発表するつもりでしたから、事態を大きく考えておらず、むしろ想定の範囲ととらえたのではないかと思います。ただ、その中身には別の内容が付け加えられていたのです。
地球の大変動について具体的な時期や原因については宇宙人側から何も告げられていません。ところが『トクナガ文書』には「1960~1962年、地球の軸が急激に傾く」と書かれています。これは、1959年8月に翻訳、出版された『地軸は傾く』(原題『Look Up』スタンフォード兄弟(アメリカ) 著)の内容から来ているそうですが、問題はその情報の根拠です。著者のスタンフォード兄弟はテキサス州において、UFO目撃、撮影等、研究家としても実績があるのですが、同時に霊能者でもあったのです。大変動に関する預言も、レイ・スタンフォード自身が霊媒となって、自動書記と呼ばれる心霊的なメッセージ受信によって筆記されたと言うのです。これはCBAが高尾山山頂で宇宙交信機による無線によって受信した手段とは異なります。
しかし、宇宙人との交信手段を探っていたCBAは『トクナガ文書』が新聞の記事で公表された後も、その方法について模索し続けます。
1960年5月に『宇宙交信機は語る』(原題『The Saucers Speak』ジョージ・ハント・ウィリアムスン(アメリカ) 著)がCBAによって翻訳、出版されました。この本の内容を要約する記事を引用いたしますと…
「1954年に、ウィリアムスンとベーリーは、友好的な円盤のパイロットらと短波ラジオのコミュニケーションとされるものを強調する『The Saucers Speak』を刊行したが、しかし実際には、そのほとんどすべての内容を、ベーリーとウィリアムスンが1952年以降、定期的におこなったヴィジャボードのセッションに依存した」(Wikipediaより)
表題の『宇宙交信機は語る(The Saucers Speak)』とは裏腹に、内容は(宇宙交信を目的としてはいるけれども)降霊術用のヴィジャ盤と呼ばれるものを使用した霊界通信だったらしくヽ(゜∀゜;)ノ しかも著者のウィリアムスン氏によると「日本語訳版において、文字盤の使用に対する重要な警告が省かれていた」と言うのです。
この『宇宙交信機は語る』の著書が広まると、影響を受けてヴィジャ盤を使用した降霊術による宇宙交信を試みる人々が出てくるでしょう。宇宙交信機とは違う手法を用いたため、宇宙人ではないものと交信してしまったようです。『こっくりさん』は指の微妙な震えが共鳴して動いているだけとも言われます。しかし、一見遊びに見える降霊術でも、やる人によってその効果は段違いだそうです。霊感などの素質を持った人々が集まって「宇宙人とコンタクトしたい」という共通の願いを持って儀式を行ったために(霊なのか異次元人なのかはわかりませんが)別の大きな存在を呼び寄せてしまったということでしょうか。ウィリアムスンやCBAの人の場合は「ヴィジャ盤の上に置いたガラスコップがかなりの速さで動き回り、文章を示した」そうですから「こんなのが単なる浮遊霊のはずがない。宇宙人の(超)能力に違いない」と思うのも無理はないと思います。しかし、天宮氏によると、彼らから得られる情報は、幾度にも渡る円盤の(確認されていない)着陸予告と「核兵器は危険」「平和を守れ」等の美談、励ましのメッセージ等が中心で、現実世界に密着した具体的な行動への助言なり、実用性を伴う指針という内容は無かったとのことです。ジョージ・ハント・ウィリアムスンは次のように述べています。
「宇宙の訪問者たちは、心霊的手段で情報を受けることは危険で害があるために、そうした手段は用いるべきでないと特にハッキリ警告したのです…心霊的な研究が始まるところ、どこでも真の尊い科学的研究はストップしています」
しかしウィリアムスンの著書により、文字盤を用いた降霊術が広まり、ボード通信によって宇宙の真理を得ることができると信じる一派が生まれたそうです。「核兵器はアメリカが造ったのだから、それを排除するのはアメリカ人の役割であり、日本の我々の役目は山での儀式(ボード通信)である。この儀式の意味が松村代表とCBA側にはわからない」松村代表とCBA側は、このボード通信を「宇宙人にあらざるものを宇宙人とした」と断定、次々と印刷される「天の神様からのメッセージ」の配布を阻止しようとしました。
1961年、降霊術によるボード通信を中心とした渡辺大起氏が創設した一派と、アダムスキー思想を基盤とする久保田八郎氏が創設したコンタクト派『日本GAP』がCBAから分裂。
その後、観測を中心としたコンタクト、過去の文献、聖典、遺跡等に見られる描写から宇宙人の証を探求するCBA本体と松村代表はハヨピラ(1967年完成)を建造することになるのです。
「終末(滅び)の預言はあくまで「警報」であって、恐怖をあおるためにあるのではなく、危機を回避させるためにある」
五島勉氏は著書『大予言』シリーズで何度も主張されてきました。聖書でもエゼキエル書、ダニエル書、ヨハネ黙示録と終末預言の内容が少しずつ変化してますよね。我々の知らないところで滅びないよう回避してくれている存在があるのかもしれません。
た、救いの内容も旧約では「ユダヤ民族だけを救う」という感じで言ってたのが、新約では「信じる者は皆救われる」に変わり、20世紀になるとファティマ聖母が「人類は共に救われるか、共に滅びるかです」と。「全員で助かる気が無いのなら誰も救わない」とかなり厳しい内容になってるのです。

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